●プロフィール



 1943年東京下谷に生まれ、早稲田大学文学部を卒業。1969年10月、早大闘争を主題とした歌集『バリケード・一九六六年二月』で鮮烈なデビュー。1970年3月、出版記念会の席上で自作の朗読を試みる。1975年冬、シンガーソングライターの龍と出会い、「歌謡の復権と肉声の回復」をスローガンにステージ活動を開始。1982年7月、LP『曇天』をリリース。

 1984年6月、寺山修司一周忌追悼絶叫コンサート「望郷」(池袋西武スタジオ200)で石塚俊明、菊池雅志と出会い、翌春永畑雅人がメンバーに加わり、現在のスタイルが生まれる。同年10月、渋谷ジアン・ジアンに初出演(以後1999年12月まで100ステージ)。1985年6月、新宿安田生命ホールで60年安保25周年記念短歌絶叫コンサート「六月の雨」を開催。吉祥寺・曼荼羅で月例コンサートを開始。

 1986年10月、山口市が主催した「中原中也没後五十年祭」に作家・大岡昇平氏と共に招かれ「中也絶叫コンサート」に出演。同年11月、世界50カ国の詩人と自作の朗読を競い合い「第6回ブルガリア国際作家会議コンクール詩人賞」を受賞。

 1987年4月月光の会を結成、翌88年4月に詩歌運動再興の理念を掲げ、弥生書房より短歌を中心とした総合文芸季刊誌誌『月光』(9号まで刊行、10号で完結予定)を創刊する。坪野哲久の貴重なインタビュー(1・2号)やその遺稿となる「方丈旦暮」50首(2号)を掲載、哲久再評価の大きな流れの先鞭をつける。また「詩書一体」を理念に果敢に創作を繰り広げた前衛書家木村三山や中井英夫、塚本邦雄、菱川善夫諸氏の特集は大きな反響を呼ぶ。

 1990年5月、NHKテレビ「現代ジャーナル」で「福島泰樹コンサートにみる現代/短歌絶叫」を制作。同年12月、浅草公会堂において「短歌絶叫20周年記念コンサート/遥かなる朋へ」を開催。

 1991年9月、100年の歴史の幕を下ろしてしまう浅草六区(日本近代芸能のメッカ)常生座で、ファイナル絶叫コンサートを開催、座長をつとめる。1995年、旭川市民会舘(3月)、目黒区民センターホール(5月)、早稲田大学15号館(11月)で「短歌絶叫25周年記念コンサート」を開催。25周年を記念して株式会社クエストから初の絶叫ビデオ『バリケード・一九六六年二月』を刊行。

『さらば友よ』(思潮社)、『愛しき山河よ』(山と渓谷社)、『朔太郎、感傷』(河出書房新社)など歌集 21冊の他、アンソロジー『絶叫、福島春樹絶集篇』(阿部出版)、評論集『黄金の獅子/辰吉丈一郎」(彩流社)、CD『短歌絶叫/中原中也』(東芝 EMl)など著作は60点を数える。

 1995年、ラジオドラマ「紫陽花の家」で「第21回放送文化基金脚本貧」を受賞。1999年6月、河出書房新社から既刊20冊を一巻に収めた『福島春樹全歌集』を刊行。2000年2月、第20歌集『茫漠山日誌』(洋々社)で第4回若山牧水賞を受賞。 2008年11月、第25歌集『無聊庵日誌』(角川書店)刊行。毎月10日、東京吉祥寺・曼荼羅(0422−47−6782)で月例絶叫コンサートを開催中。全国1000ステージを数える。



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